せめて悲劇のヒロインだったら

某月某日。
本当に親をシャットアウトしてしまった。

2年前のある日、全部が嫌になってしまって、実家を出た。それからも完全に絶縁できなくて、なんとなく連絡は取っていたけれど、なんかもう、全部嫌になってしまって拒絶してしまった。他人が聞いたらなんて最低なんだと思うんだろう。けれど、誰からどう思われたって年々どうでもよくなってきた。どうせ誰にもこんな話はしないし、相も変わらず普通の家族で育ったふりをしていくだけだ。

それなりに歳を重ねてきたから、周囲でも身内の不幸だの体調が悪いだのの話が目立つようになってきた。こんな事言うと本当に、親不孝だって世間から石を投げつけられたとしても仕方ないのだろうけれど、いっそのこと両親が存在しなければ、こんなに悩む事もないのにと考える。いつも中途半端に苦しい状況だから、いまいち悲劇のヒロインにはなれない。自分より大変な人なんかいっぱいいる。そうやって誰にも言えない自分だけのなんとなくつらい気持ちが重なって積みあがって、気が付けば最近の不平不満は、子どもの頃にうまく言語化できなかった親へ憎しみばかりだ。別にこんな大人になりたかったわけじゃないのに。頑張っていきてるつもりだし、今はもうそんなに孤独で苦しくてしんでしまいたくなる夜はだいぶ減って、誰にも言えない気持ちをこっそり書き綴って広い海に流すこともすっかり減ってしまった。

せめてこのままさみしいを突き詰めて、天涯孤独の悲劇のヒロインになれていたら、周囲の同情を糧に、こんなにもひねくれる事も無くいきていけていただろうか?だが、果たしてそんな自分になりたいのだろうか。

きっと別にそんなことはなくて。悲劇的なコンテンツで誰かに認められたいのではなく、普通に頑張っていきている自分をただただ認めてほしいだけなのだ。きっとそう。

会話して分かり合えない人たちを、ずっと血縁補正だけで大事にしろと刷り込まれていきてきて、それなりにやってきたけれど、もう疲れちゃった。世間の目とか、常識とか、なんかもうどうでもよくて。自分のための人生なのに、ずっと自分はそこに無くて、結局は親のために、介護要員っていうか。そんな感じで生まれて生涯終えていくのは嫌だなって。何十年もいきてんのにさ、そういう自我がやっとここ数年で芽生えてきた。

って話、前にもここでしたのかな。時折考えてはつらくなって、やっぱり誰にも言えなくて、結局広い海に書き綴って流すよね。