2021.1.11 なりたい自分?やりたい事?

陰の者で集まると自分結構前向きに生きる事頑張ってるやんってなるのは、向上心なさすぎなのだろうか。

友人の愚痴を親身になって聞くと称して、自分の現状を振り返る。穏やかな職場環境。学びの多い人間関係。一方通行だけどそばにいたい人の存在。もしかして結構恵まれてる?けどまだ足りない、あれもこれも出来てない、自分の目につくのは足りない所ばかり。自分にとって、本当に欲しいもの、欲しい環境がまだ手に入っていないからなのか。

友人は言っていた、なりたいもの、やりたい事がわからない。本当にそうなんだろうか。長い付き合いで遠くで見守っている事ばかりだけど、なりたかったけどすててきただけの事なんじゃないのか。

わたしのやりたい事ってなんだろう。これってそもそも仕事の話?今の職場はとても好きだけど、一番最初に興味があった仕事にはそこまで執着がなくなってしまった。それよりも今の環境でもっと出来る事を増やして役に立ちたいなと考える。でもそれって表向きの理想で。そこで認められてあわよくば安定した肩書きと収入が手に入れば良いと思っている。そこには今まで避けてきた責任とか、自力で考えるとかそういう事が求められるらしい。しかしこんなご時世でそのあわよくばが手に入った所で満足行く収入になるかどうかも非常に怪しい。だからと言ってまだ、今の職場を捨てたいって気持ちには全然ならないんだよな。人間関係が良すぎる。

じゃあそんな中で他にやりたい事ってなんだろう?結婚?これに関しては生きてきて最も難しい事だと思っていたのだけれど。今までのわたしといえば選ばれない人生を嘆いてばかりいて。一体どこまで受身で生きてきたんだろう。選ばれないなら自分で選べばいいじゃない?って話で。自分が本当に一緒に過ごしている事か楽しくて仕方なくなって、自分じゃない誰かのものになったら嫌だなと思ったら。その時は無様に足掻いてみるのも良いかもしれないと最近思えてきて。本当に強い信念があったはずなのに、この世には絶対が無くて困る。これはきっと、好きにならないだとか、付き合えないだとかそういう事に関しても絶対じゃないという認識で行く事にする(逆も然りという話は聞かない)。

 

好きなものをずっと好きでいる事について。ずっと好きでいるのが当然だと思ってきたけどどうやらそうでもないらしい。例えばわたしは学生時代はずっと絵が好きで自分で描いていたし、他人の作品への関心も強かったけれど、社会人になってからはだんだん薄れていってしまった。時々、展覧会に行って鑑賞はするけれど、自分では全く描かなくなってしまった。わたしにとって、あれだけ大好きだった絵とはなんだったんだろう?たまたまほんの少しだけ上手に描けて、わたしの日常とは別にある世界の全てみたいに思えて大事にしていたんだと思っていたけど。自分には才能がない事に気がついて、好きだけじゃやっていけなくなってしまったのか。音楽もずっと好きだけど、産み出すことは全然できないけど聞く事はずっとやっている。絵も見る専になってしまった。

 

なりたいもの、やりたかった事ってなんだろう?前向きに生きてみようと思っているけど、自分の事がわからない事だらけだからとりあえず出来る事、目の前の事やっていくしかないって思って生きてたら好きだったもの放り出して日常生活送る事で精一杯になっていたのかなあ、なんて見つめ直すなど。