平成さいごのなんちゃらとか

平成最後の日、正直悲しい。

気が付いたら平成ゆとり世代と散々揶揄され、嫌なこともいっぱいあった。

パソコンとインターネット、携帯電話のおかげで良くも悪くも色々あった。

最近ドラマやアニメでよく見るネットの世界の描写。つながりたいけどつながれない。あれを見てるとなんだかすごく複雑な気持ちになって苦しい。

とりあえず何か書いておきたくて書いたけれど言葉が全然まとまらない。

色々な人と日々すれ違うし、出会っては二度と会わないを繰り返して

平成最後の日もひとりだった。誰とも会う気も起きなかった。

 

令和は開き直って一人、旅に出る。きっと素敵な時代にする。

ソメイヨシノ、下から見るか横から見るか

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4月になったってことは、またひとつ学生時代が遠のいてしまったってことだし、我らが平成時代もラストスパートだ。なんだか最近切なくて仕方がない。

 

コンクリートだらけのこの街で桜を見るために集まる場所は皆同じで。なんだか人が多すぎて落ち着かず。意外と風が冷たい中で砂埃と戦いながらお弁当を広げてみたりだとかはひとりだとハードルが高すぎるし。しかし、ふらりと電車に揺られてみると、小高い山や線路沿い、河川敷、たいして広くもない公園など。わざわざ見に行くぞ、と意気込んで見に行くような場所でもないところにたくさん咲いているではありませんか。

 

というわけで、ややセンチメンタルになってしまったけれど、インドア派の方は車窓からのゆるいお花見はいかがでしょうか。移動速度が早ければ早いほど、写真はうまくとれないので(添付は道で偶然見かけた桜です。)一人でぼんやり眺めたい場合に限りますが。

 

今週のお題「桜」

2019.3.23 成長

今年に入ってから、いつの間にか周りで結婚したり、出産を控えていたりするという状況を耳にすることが多くなった。そういう年頃なんだろうな。

割と長い付き合いで、頻繁に会うわけでもないんだけれど近況はなんとなく知っていて、同じように年を重ねていたんだと思っていたのになんだか不思議な感じ。

自分だけが微妙に大人になり切れていないのに、周りはどんどん次のライフステージへ進んでいっている。行かないで、いつまでも時間が無限に思えてた頃みたいにくだらない話ばかりして過ごしていたいのに。な~んて思ってるのは自分だけです。

 

何年も前から、困ったことがあったとき、楽しいことがあったとき。日常の些細な事をいつも相談していた、人生の先輩ももうすぐ人の親になる。もう気軽に話せないのかなと思うと少し泣けてしまった。同時に生まれてくる子が羨ましかった。迷ったときの自分を正しく導いてくれて、かと言って強制することもなく。とは言え鬱陶しいときもあったけれど、決して見捨てずタイミングよくいつも気にかけてくれて。

そんな人はどんな親になるんだろう。そして、どんな子に成長していくんだろう。

みんなおめでとう、自分もがんばって日々を生きます。

少しひとりごとでも

いつかどこかで聞いたような無差別な誰かへの心無い言葉が時々ふっと頭を掠めて自由にふるまう事を躊躇ってしまう。

この年齢になったらこんな事は言わないだろうとか、こんな服は着ないだろうとか

だんだん自分が分からなくなってきた。年相応の振る舞いってなんだろな。

 

近頃、あまり喋らなくなった。うまく喋れない。沈黙が怖くてあまり人とも会う気になれない。

とりとめもなくその場しのぎのつまらない会話はいくらでもできるけれど、本当に話したいのはそんなことではないのです。

以前から薄々感づいていたが、頭の中のイメージが具体的な言葉で説明できなくて擬音ばかりでうまく言葉が出てこない自分にがっかりする。

少し前に、今となっては知人と化した人物が「なんて言ったらいいかわからない」という発言をよくしていて、その言葉を聞くたびになぜ話したいことを言葉で表現できないのか意味が分からなくて良くイラついていたが、今なら何となくわかる気がする。

なんだか最近どうでもいい会話をあまりしていないからか、言葉がうまく出てこない、

きっとボキャブラリーが貧困なのだわ。本を読もうか。

手っ取り早く会話をする相手もいないので、無理やり言葉をヒネり出してこの日記を書いています。

せめて面白みに欠けても、伝えたいことがすんなり伝えられる話ができるようになりたい。

2019.3.10

今週末もまた、記憶に残らない週末を過ごしてしまった。

せめて晴れたら外に出なくては。買い物したいはずなのに今週末もまた何も出来なかった。

仕事は良好です。不満なんて何もないです。マメな(入社して既に3回くらいあったから個人的な所感)面談で偉い人たちから色々聞かれるけど、ほんとにいま何にもないんです。ただただ役に立ってるか立ってないかより、日々をやりきるのみ。つらくもないんです。定時出社、定時退社。なのに、なのにどうして週末は何も出来ないんだろう。最近やりたいことも、なりたい自分もよくわからない。

全然つらくないのに、明日は仕事かあと考えると少し憂鬱になるのは人間の本能とかでしょうか。でも休みが永遠にあっても、やりたいこともなくて寝たきりの日々になってしまうから、無心で仕事している方が良かったのかもしれません。ああ、週に6日働いていた日々もあったのに。なんてないものねだりで贅沢なんだろう。

今週末もまた、こんな自分にがっかりです。明日からはもっとうまく生きられるように頑張りましょう。

さいきんのモヤモヤを海に放つ

有難いことに、都合で電車に揺られて遠出する事が月に何度か。

その移動時間は特に何をするでもなく、ただただひたすらぼーっと景色を眺めたり、普段のようにスマホでゲームをしたりだとか現実逃避の時間と化している。

 

どこか遠くに行きたいな、と思うことがしばしばある。

けれど旅行サイトを見てもいまいちテンションは上がらないし、結局どこにも行けないでほとんど自室にこもってばかりいる。

ぼんやりと窓の外を眺めながら電車に乗っていた時、ただただ自分は逃げたいだけなのかもと気づいた。

このまま一生辿り着かないかもと思えるような、知らない街に向かって、なにも考えずぼーっと景色を眺めて。日常から逃げていたい。ただそれだけ。

今年のゴールデンウイークは10連休だと世間が騒いでいる。おそらく今の職場もほぼほぼそうなるだろう。

自分の連休の行く当てはどこにもない。やりたいことも何もない。

ただただ電車に揺られて、ここではない辿り着けない場所を目指してどこかへ逃げたい。

そんな気持ち。

 

ここのところ感情の起伏も激しく、世界の全てに苛立ってばかりいる。

何も問題もないのに、なぜだか平日は目の前のことで精一杯だし、かと言って休日に何をするでもない。

夜はすんなり眠りたくないくせに、朝は全然起きたくない。

我儘な自分が心底嫌になるよ。

知らない誰かに、本音は言えない、抽象的な悩み相談してばかり。

いつも顔を合わせる現実世界の人たちと本音で向き合えばいいのに。1mmも親しくなれない自分。

三つ子の魂は百までって昔偉い人が言ってたけど、いい年になっても幼い頃苦手だったことがなに一つ得意になれないから本当にそうなんだろう。

せっかく尊敬できる人が周りにたくさんいる場所にこれた現在なのに、わたしは。わたしは。

がんばりたいよ、人生。

花のない日々

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先日、念願の結婚式参列を果たした。

年の近い親戚だった事もあり感動もひとしお、ご飯も美味しかったしとっても良い日だったのだけれど。

普通に幸せになるってすごい事なんだなとか色々考えてしまった。

 

その週から色々と忙しく過ごしていて、式で貰って帰ったお花の水換えも毎日なんて全然出来なくて。寧ろかなり放ったらかしで。

自分の世話は愚か、花の世話もまともにする余裕もない人間なのだと落ち込んだ。

全然、手がかけられないまま華やかな時期がいつのまにか終わって枯れていくのかな、なんて自己投影してみたり。

素直に人の幸せな日に自分の事の様に喜べない自分とか、結婚式なんて無縁の自分への劣等感とか

あんなに結婚式で人の幸せ祝って幸せのおすそ分け気分味わいたかったはずなのに、なにこの複雑な心境。

素直になりたい。色々ねじ曲がりすぎたよ、根性。

 

なるべく自分の言葉で、言いたかった言えなかった事書くとか決めて綴ってたけど、なんだか気恥ずかしくなってまた借り物の言葉。ブログタイトルまた変えたよ。

東京事変の『私生活』。仕事がつらいとき、よく聴いてた好きな曲です。