花のない日々
先日、念願の結婚式参列を果たした。
年の近い親戚だった事もあり感動もひとしお、ご飯も美味しかったしとっても良い日だったのだけれど。
普通に幸せになるってすごい事なんだなとか色々考えてしまった。
その週から色々と忙しく過ごしていて、式で貰って帰ったお花の水換えも毎日なんて全然出来なくて。寧ろかなり放ったらかしで。
自分の世話は愚か、花の世話もまともにする余裕もない人間なのだと落ち込んだ。
全然、手がかけられないまま華やかな時期がいつのまにか終わって枯れていくのかな、なんて自己投影してみたり。
素直に人の幸せな日に自分の事の様に喜べない自分とか、結婚式なんて無縁の自分への劣等感とか
あんなに結婚式で人の幸せ祝って幸せのおすそ分け気分味わいたかったはずなのに、なにこの複雑な心境。
素直になりたい。色々ねじ曲がりすぎたよ、根性。
なるべく自分の言葉で、言いたかった言えなかった事書くとか決めて綴ってたけど、なんだか気恥ずかしくなってまた借り物の言葉。ブログタイトルまた変えたよ。
東京事変の『私生活』。仕事がつらいとき、よく聴いてた好きな曲です。
巡る
ずっと実家に住んでいるから、昔のものがけっこうある。
貧乏性なせいか、何かに使うかも?と思い続けて捨てられていないものがたくさん。
最近はようやく執着がなくなってきてX年前に学生だった頃の荷物がようやく躊躇なく捨てれるようになってきた。当時はあれもこれもいるだろう、いつか使うかも。と思ってあの日のまま保管していた物たち。近頃見ると、何の感情も湧かない。ほんとうに昔はこんな事勉強していたのかなあ、なんて記憶があいまいになるくらい。
どんどん整理しているうちに偶然手に取った、12年前の年賀状。今年と同じ干支で、どうやらX学生だったらしい。ふと目に入った一通を見てどきりとする。今年、結婚したらしい子の一巡り前の年賀状。あの頃は会えるのが当たり前で、毎日どうしようもないくらい喋ってばっかりだった。今となっては年一回の年賀状だけで知る近況。随分遠くに越してから、もう何年も会ってないし、会うこともないかもね。
ちゃんと言ってくれれば、ちゃんと言いたかったな、おめでとう。年賀状のやりとりだけの関係って不思議。
人ってどんどん成長していって変わっていくのね。羨ましいな。
わたしはちゃんと、成長できているだろうか。
駆け抜けた2018→2019
気が付いたら年の瀬で、年賀状もまだ書いてもいないのは例年通りの事で。けれどまさか買ってもいないなんて。
ブログ書かない間、わたしの気持ちはどこにいっちゃってたんだろう。
とりあえず11月はまだ慣れてない仕事で進捗を聞かれる度フワフワと答え、何回も助け船を出してもらいながら、忙しく過ごして。少し落ち着くよと言われていた12月もいつの間にか終わっていく感じで。寝て起きて、食べて。やれる事をやれるだけやって布団にくるまっていたら毎日があっという間だった。
2018年は数年越しに転職の夢が叶い、そこからは毎日が夢みたいにフワフワ過ぎて行った。
上半期はつらかったことも思うようにいかなくて憤りを感じていたこともたくさんあった。今でもうまくいく事ばかりじゃない。
週に6日も働かなくても、毎日怒られてばかりじゃなくてもいい世界があることを知れて良かった。何より、出来ない事だらけの自分が責められもせず、日々出来ることが増えてはその度に達成感を感じて。少しずつ前に進めてるのかなあ、人生。
けれど休みが増えた割に休日の過ごし方は寝てばかりが中心で、壊滅的にもほどがある。
悲しいけど人間関係は相変わらず下手で、無理して築いていくのはもう諦めたり。
その分長い付き合いの友人と会うと、いつもあの頃の儘受け入れてくれるのが嬉しくて、大事にしようと改めて思ったり。
今年の下半期は運動も全然出来なかったし、来年は一人でも気軽に出来る何か新しい事を始めたい。
せっかく理想の環境に来れたんだから、紛い物だってばれないように、むしろ自信を持ってずっと居られるように、より前向きに生きていくぞ。
自分じゃない誰かの自慢話じゃない、誇れる自分になるんだぞ
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追伸、
2018年の目標は失敗から学ぶ、転職、一人暮らしするだったようです(忘れてた)
基本的に、自分の苦手な事はとりかかりが遅く、出来ればやりたくない方でしたが失敗から学び、嫌だけどここでやらなきゃ!ということはやる、失敗しても繰り返さない。が実行できていた気がする!その結果の転職ってことで。
一人暮らしは、今年もだめでした。あと3年前後で仕事で結果出せればやります。くらいのノリで。頑張っていきます。
今週のお題「2019年の抱負」
2018.11.15 なんでもないけど日記が書きたい
なんだかバタバタと過ごしていたら、時が経っていた。
特になにもないんだけど、自分の世界で平和に生きています。
欲を言えばそうだな、色々落ち着いてきたし旅行にでも行きたいな。週末びっくりする程外に出てないし。計画を立てるのが苦手なのでツアーとかが良いんだけど、おひとりさま向けってなかなか無いのね。
ここに書いてたら行ける気がするので書いておこう。暖かい地方がいいな。
とりあえずもうすぐ大好きなアーティストのライブなのでそれを糧に生きています!
2018.10.13
毎日それなりに過ごしているのになんとなく毎日不安で、相変わらず自信がなくて自分を嫌いになっていく
もっと生活の質を上げなくては。何をどうがんばったらいいんだろう
人と話すことも思いつかないし頭の中で考えた事をすぐ口に出して発言することがどんどん下手になっててがっかりだ
どこか遠くに行きたい。
しあわせの定義って?
親しくしていた友人のことが、なんとなく嫌になってきた。
少し距離をおきたい
最近は食べるものも、価値観もなんとなく合わなくなってきて。
もしかしたらもともと合っていなくて、我慢できなくなってきただけなのかもしれないが。
こうやってまたひとり、「ともだち」が減っていく。
自分の楽しい事や楽に生きられる環境を追求していくと、どんどん削ぎ落とされていく。
わたしが本当の「しあわせ」を見つけたとき、気づいたとき、わたしの周りには誰もいなくて、孤独になっているのかもしれない。
良いものを押し付けるわけでもなく、自慢するわけでもなく分かり合える人間関係ってどうしたら見つけられるだろうか。
なーんて、考えていたらまた季節は巡り巡って、秋。
去年よりはずっと元気です。
ブログ畑でつかまえて
初めてインターネットに自分の居場所を作ったのは16歳の頃。どうしても携帯電話が欲しくて無理を言って買って貰ったのをよく覚えている。
初めてパソコンでインターネットをしたのはそれよりもっと前で。熱心な友人たちがメモ帳を駆使して自作のサイトを運営していた。それがとてもとても羨ましくて。掲示板に普段話すみたく馴れ馴れしく書き込みをしてネチケットについてひどく怒られた。今はネチケットなんて、もう古いのかしらん。
そうやってインターネットに慣れた子達が周りには多かったから早く自分も居場所が欲しかった。買ってすぐ、日常で言えない事を書く場所にとブログを作った事もよく覚えている。
あの頃はブログ全盛期だったのかな。SNSはモバゲー、mixiが爆発的に流行っていたけれど、わたしにとってインターネットは現実世界の友達と繋がる手段ではなくて現実とは別の世界だったから、ブログで全く知らない人の日常を眺めている方が楽しかった。
ブログを通じて現実で会った人も何人かいるし、探そうと思えば見つけられるだろうけれど、今は全くどうしているか知らない。ブログを通じて出会った人が現実を侵食し過ぎてうまくいかなくなってしまったので、やっぱりわたしにとってインターネットは別世界と捉えるべきなのかもしれない。
とはいえ、わたしはこれに懲りずに避けていたSNSに手を出し、ちょっと前までFBを使って同じ会社の人にちょっかいをかけまた現実世界で爆死したり、リアル知り合いから離れればいいのではなどという安直な考えでマッチングアプリに手を出したりしてこじらせながらもインターネットを辞められずにいる。(FBとマッチングアプリはやめた)
失敗しても現実とは別の世界だってわかっていてもやっぱりインターネットは面白くて、便利で時に助けられて。現実のわたしがヘラヘラ笑ってこっそり楽しく過ごす為の居場所なんだと思う。
今週のお題「わたしのインターネット歴」