ダメな人って叱りながら愛して欲しいけど、本当にダメな人間だから多分無理
人に対してすぐひどいことたくさん言ってしまうのに、自分が言われたらめちゃくちゃに落ち込むの、凄く卑怯でずるい事だってわかるけどなかなか治せないの駄目すぎる。
今週、仕事がとても辛かった。今日やっと休みで。休みをずっと待ってたし、隙あらば何しようかどこに行こうか考えてたのに。
こんな風に、人と会って喧嘩してめそめそしてるはずじゃなかったのにな。
いつになったら自分に余裕が出来るようになる気なんだわたしは。
攻撃的なくせにガラス細工気取るのもいい加減にしろ!
アンパンマン戦法
選ばれたかった、ずっと誰かに。
思い返せば、昔から誰かの特別でありたかった。
学生の頃、二人組になって。が苦手だった。三人組にならかろうじてなれたけど、割り切れない数字の人間関係はなかなか難しくて、自分からひとりになりがちだった。
親友という言葉にめちゃくちゃ憧れた。絶交という言葉が怖かった。
なかなか親友は出来なかった。今は気の合う友人は何人かいるけれど、親友かどうかにはもうこだわっていない(うそ、少しは気にしている)
選ばれたくて、誰かの特別になりたくて、友達を試すような事もいっぱいしてきた。思えば相当、バカだったんだろうな。
自分がどうしても特別になりたかった友達も何人かいたけどいつもうまくいかなかった。
本当に大好きな人の前ではいつも緊張なのか萎縮なのかわからないけれど、駄目な自分を見せたくなくて、めんどくさくない友達でいるようにした。でも、あの時も、あの行事も、あの帰り道も、隣にいたいのは自分だった。って時、何回もあった。でも言えなかった。気持ちばかりが大きくなって、嫌われたくなかったから。
その気持ちは異性に対してもあったのだと思う。
恋人が出来るって事は、それこそ選ばれるという事なのだと思っていたから。
ずっと誰かに選ばれたかった。
誰かって言っても自分にとっての特別な人に、選ばれたかったんだと思う。
今年、すごく久しぶりにちゃんとお付き合いをしている人が出来た。
わたしがずっと選ばれたかったって思っていた感覚が満たされる様な人。
選ばれるって、すごく嬉しい事だった。今までいつも隣にいて当たり前の存在っていなかったから。今までの選ばれたい欲が、満たされたこの感じ。なんだか優しくなれる気がする。
関係が落ち着いてきて、これからも大事にしていきたいので書き留めておきます。
選んでくれて、ありがとう。
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※当記事のアクセス数が当ブログ内ではめちゃくちゃ多くて複雑な気持ちなので、下記にリンクを貼っておきます。現在再びお一人様ですがしぶとく生きています!!
ぼっち頑張れの意味も込めてお時間あればご覧ください↓↓↓(※2018.10月:追記)
ミゾミゾしてる
引き続きみつしまひかりさんにハマった影響で、映画『愛のむきだし』をみた。
なんだか落ち着かないので、忘れないうちにミゾミゾした気持ちを書き留めておく。
普通なら絶対チョイスしないであろう殴り合いやら流血やらのシーンがわんさかある映画で。あまりにも報われなさすぎて途中で観るのやめたくなってしまった。。。普段はハッピーな映画が好きだし。一時間くらいみてたらよーやくみつしまさん出てきて。かわいいしかっこいい。そこでとりあえず、諦めなくてよかったよー。
見ているこっちが苦しくなるようなシーンがなんどもあった。平気で血が出るわ出るわ。ホラー映画の演出とかサスペンスの流血とかは全然怖くないんだけど、この映画を見て改めて、気が狂ってるって状態の方がよっぽど怖いなーと再確認。
ぱっと見こいつ嫌なやつだなーと思った登場人物に対して、チャプターが変わって描かれる視点が変わるとさっき嫌なやつだなと思ったやつに対してこういう生い立ちなら仕方ないかも。。。とすぐ肩入れしてしまう単純なわたしであった。
あとカルテットでは声の登場だけだったからあまり気に留めてなかったけど、あんどうさくらさん怖すぎた。なんだろう、空気感とか、視線とか。ほんとにこの人につけまわされたら恐怖でしかないなと思わされる感じがすごくしました。
そして、終盤、ながーい3時間強のいろいろを思い出して、なんだか泣いてしまった。なんで泣いてるのか自分でもわからなかったけど、ヨーコが泣いてるの見たら一緒に泣いてた。そしてぽろぽろじゃなくてわりと泣けてしまってどっと疲れてしまった。
疲れるってのは悪い意味じゃなくて、結局4時間近くもみてたらある意味宗教の洗脳のように、世界に入り込まされてしまうわけで。
全然気軽に見れる映画じゃないんだけど、色々感情を揺さぶられたり、考えさせられ。最初にも書いた通りみつしまさんが気にならなかったら見なかった映画だったと思うので、みつしまさんありがとう。
カルテット、ありがとう
椎名林檎のファンだから、という不純な動機でカルテットというドラマを見始めた。
それからみつしまひかりさんに心奪われ、わくわくしながら見ていた今日この頃。第3話はそんなみつしまひかりさん演じるすずめちゃんがメインのお話でした。少し思うところあったので書き留めておこうと思う。
ドラマみたいな壮絶な過去があるわけではないけれど、わたしはわたしなりに自分の父が憎くて仕方がない方だ。
話せそうな仲の人にこの話はぼんやりとだけするけれどだいたい誰にもわかってもらえない。だいたい所謂女の子にありがちの、「オトウサン、キライ!」の一種と思われてきた。全然そんなんじゃないんだけど。でも中学生ぐらいから、それぞれの家庭の事情って、その家庭にいる人たちにしかわかんないんだって気付いてたから、高校生くらいから父はいないつもりで生きてきたし(実際は普通に家にいる)この話はほぼ人に話さないようになった。
こういう話をするとだいたい家族なのにどうして?と言われる。
それが苦痛で仕方なかった。
家族でも許せないことってあるじゃないですか。だけど許せないなんて、おかしいっていう人ばかりで。わかってもらえないから言わないようにしてた。
ドラマはフィクションだけど、自分がどうしても嫌で嫌で仕方ないなら父親が死んだって会わなくったていいって言ってくれてわたしは嬉しかった。世間体とか常識とか考えたら普通は駆けつけて当たり前って誰もが言うけれど。
許せない自分でもいいって、初めて思えた気がする。
演出、監督、出演自分
またひきこもりシーズンがやってきている。
そもそも根暗なので、社交的な自分シーズンの時はかなり努力しているというか。
社交性のある自分を演出しているというか。
人と会うのが楽しくて毎週末予定がある時と、誰にも会いたくないし一歩も外に出ない(ほぼ布団から出ない)時が波のように押し寄せてくる。
社交性のある人に憧れて人間関係頑張ってみるけど反動がすごい。
頑張れる時期は、自分から人を誘ったり、遊びを企画したりして積極的に人と連絡をとるけど
続かないのね。やっぱり人ってすぐ変われるものじゃないのね。
食べ物の好き嫌い無いし、お酒も飲める方だしよく笑う方だけど
自分の根っこはからっぽでなんにもないおもしろくないやつなんだって。
つまんないから、なかなか人付き合いがうまくいかないんだって
ひきこもりのわたしはまた布団にくるまって落ち込む。あー、今日も外出なかったな、雨のせいにするね。